WBCの日本代表で今や国民的人気を誇るラーズ・ヌートバー選手の生い立ちをまとめました!
応援せずにはいられない不思議な魅力がある選手です。
小さい頃から人懐っこかった愛されキャラがそのまま大人になったような感じで、なんだか暖かい気持ちになりますよね。
そんな気になってしまうヌートバー選手の子供時代のエピソードも3選紹介しますので、ぜひ最後までお楽しみください!
それでは見ていきましょう!
ラーズ・ヌートバーの生い立ち
ヌートバー選手はアメリカ人のチャーリーさんと、日本人の久美子さんの間に3番目の子供として生まれました。
兄のナイジェルさん、姉のニコルさんがいて、2人が生まれたのは日本で国籍は日本ですが、ヌートバー選手の国籍はアメリカになります。
出生地はアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡エルセグンド出身です。
西海岸として有名なカリフォルニア州と言えばロサンゼルス以外にサンフランシスコ、サンディエゴ、サンノゼなどがありますね。
その中でもロサンゼルス郡は映画やテレビ産業が中心の街でハリウッドサインは誰もが見た事があるシンボルではないでしょうか。
ハリウッドサイン^^ pic.twitter.com/B3LwbfXQGR
— ヒロ (@heroeigo) February 19, 2023
ヌートバー選手が生まれたのはロサンゼルスの中でもさらに西海岸よりのエルセグンドです。
気候は年間を通して温暖で過ごしやすく、雨もほとんど降らないので日本のような四季を感じる事はありません。
冬に朝晩が10°前後に冷え込む事以外はかなり過ごしやすい環境と言えます。
そんな環境で育ったヌートバー選手は小学6年生の頃にアメフトも始めていて、監督に怒られても骨折しても辞めたいとは言いませんでした。
普通は辞めるか不貞腐れるかしてしまう年齢でもありますが、ヌートバー選手の諦めない心はこの頃から鍛えられていたのではないでしょうか。
高校では野球とアメフトをやり、アメフトではMVPを獲っています。
大学に進学する時に野球をやるかアメフトをやるかで迷いましたが、結果的には野球を選びました。
そこには家族の愛情があったからこそ、好きな野球を全力でやろうと思ったのではないでしょうか。
「最終的に野球を選んだのは、私が野球一家で育ったからだと思う。自分の人生は野球に捧げられているのかな、って。野球の方がアメフトよりも長くやっていたし、何かがいつも自分に語りかけていたんだよ。『あなたには野球が合っている』と」
野球の神様が語りかけていたのでしょうか?
ある意味、自分の中にある内なる声に耳を傾けていたんですね!
1・ヌートバーの最初の指導者は母親
父親のチャーリーさんは元々野球選手で、母親の久美子さんも高校時代はソフトボールをやっていました。
お兄さんのナイジェルさんも元野球選手でお姉さんのニコルさんはスポーツトレーナーのお仕事をされています。
スポーツ一家で育ったヌートバー選手ですが、野球の最初の指導者は母親の久美子さんでした。
ヌートバー選手は自分でママっ子というぐらい母親が大好きで、いつも母親の笑顔が見たいのだそうです。
なので久美子さんに手取り足取りフォームを教えてもらって、自宅の裏庭で日が暮れるまで親子で野球を楽しみました。
ヌートバー選手の野球の原点は母親にあったんですね!
久美子さんが教えた日本野球のスタイルは王貞治選手の一本足打法です。
小さい頃からの久美子さんの指導のおかげで、メジャーリーガーではほぼいない足を高く上げてタイミングを取るスタイルを採用しています。
しかも、ヌートバー選手の打法を見た久美子さんの高校の同級生は「ラーズ君の打撃フォーム、えのきにそっくりなんだよね」と語っています。
久美子さんは榎田(えのきだ)という苗字だったので当時「えのき」と呼ばれていました。
ヌートバー選手の原点の打撃フォームには久美子さんの侍魂が受け継がれているようです!
2・日本の高校球児がヌートバーの心に火をつけた
ヌートバー選手が9歳の頃、高校野球で渡米した日本球児達と一緒に練習に参加しています。
2006年当時、田中将大選手と斎藤佑樹選手の甲子園での戦いは大きな話題になった事を記憶に残っている方も多いと思います。
その日本チームの船橋悠選手と塩澤佑太選手のホストファミリー先としてヌートバー家が選ばれました。
そしてみんなで練習をしたり、試合の時にはバットボーイもヌートバー選手が務めています。
チームのサインが書かれた帽子を笑顔たっぷりで見せています。
一生の宝物ですね!
そしてヌートバー選手は優しくしてくれた選手たちと別れるのが寂しくて号泣してしまいました。
どこまでも純粋で優しい心の持ち主です。
日本球児達が優しくしてくれた事、母親が日本人で最初に野球を教えてくれた事。
それらが相まって日本の血が半分流れているヌートバー選手の心に火をつけました。
高校球児が帰国して1年後、ヌートバー選手はリトルリーグのオールスターに選出され、日本語で「こんにちは」と自己紹介をしました。
この時の自己紹介が、
僕の名前はラーズ・ヌートバーです。背番号は21。日本人です。僕は日本を代表してここにいます。
でした。
Dreams do come true 🥰
— Bally Sports (@BallySports) February 2, 2023
Lars Nootbaar talks with @sarina about when he got the call to play for #TeamJapan in the @WBCBaseball! pic.twitter.com/RzatQMc6CY
ヌートバー選手は日本語は話せないので英語での自己紹介なのですが、日本の高校球児の魂は脈々とヌートバー選手の中で育っていました。
10歳にして日本代表宣言をしたヌートバー選手ですが、16年後に本当に夢を叶えた事が本当に素晴らしいです。
日本代表になってくれて、こちらこそありがとうという気持ちでいっぱいになりますね!
3・年に1度は日本に遊びに行く
ヌートバー選手は幼少期の頃、年に1度は母親の久美子さんの実家に遊びに行っていました。
子供の頃に年1回外国に行けるのは子供にとっては楽しいみなイベントですよね。
富士急ハイランドに連れて行ってもらった時に乗った「ドドンパ」がかなりヤバかったらしく、戻って来た頃には絶句していたそうです(笑)
そして日本を全力で楽しんでいるヌートバー選手はアメリカに帰りたくないと毎回駄々をこねていました。
言葉の通じない祖父母ですが、久美子さんが日本とアメリカの懸け橋になっているようで素敵に思っちゃいますね。
どこかの旅館でしょうか?
ここまで異国情緒が溢れていたら帰りたくなくなるのも仕方ないかもしれませんね(笑)
【生い立ち】ラーズ・ヌートバーの子供時代のエピソード3選!小さい頃から愛されキャラ!まとめ
ヌートバー選手の子供時代のエピソードはいかがだったでしょうか?
侍魂の原点は子供時代にあったのではないでしょうか。
それに母親の久美子さんと日本球児の優しい心があったからこそです。
WBC開催中はヌートバー選手を見れますが、アメリカに帰ってしまう事を考えるとちょっと寂しい気もします(笑)
ですが残りの試合も全力でラーズ・ヌートバー選手を応援していきたいと思います!
最後までお読み頂きありがとうございました!